10月15日放送の「奇跡体験!アンビリバボー」では、60年前の冤罪『京都五番町殺人』の事件の真相を追及します。
警察側が容疑者を強制的に自白させ、目撃者の証言も認めずに思い込みですすめた捜査。1年後に真犯人が出頭するまで、本当に誰も冤罪を疑わなかったんでしょうか。本当は警察側も気づいていたんではないのでしょうか。
1年後に真犯人が出頭してきた理由は、実際に起きた事件「八海事件」をモデルにしたノンフィクション映画『真昼の暗黒』を観て罪の意識に耐えられなくなったからでした。もし真犯人がこの映画を観なかったら・・・。
『京都五番町殺人』、映画『真昼の暗黒』、『八海事件』の内容について、順に見ていきたいと思います。
京都五番町殺人事件
事件は今から60年前、1955年(昭和30年)4月15日夜、京都市内の遊郭「五番町」で起きました。
<事件概要>
A(被害者)は酒に酔い、B(真犯人)と喧嘩になります。仲裁も入りその場は一旦納まりました。
Aは仲間と違う飲み屋へ行き、少年グループ4人と喧嘩になりました。Aらが逃げたところ、Bと遭遇。BはAの背中など2ヶ所をナイフで刺して逃げました。
Aが刺されたとは気づかず、少年グループ4人はAを追いかけまわす。
2日後、Aは出血多量で死亡しました。
<捜査>
2つの喧嘩が混じり合っているとは気づかず、警察は少年グループがAを刺したと断定。事件直後に逮捕、暴行傷害致死などで起訴されました。
警察が少年達を犯人と思い込んだ理由に、少年グループの中に「被差別部落出身の少年」と「在日朝鮮人の少年」がいたから、というものでした。
当時は警察だけでなく、世間も差別色は強い風潮でした。
少年グループは初め否定していたものの、警察による強引な取り調べ、拷問により、その時の苦痛から逃れたい一心で自白をしました。その為、それぞれ供述が違うので凶器のナイフの隠し場所は見つからないままでした。
<目撃者>
実はこの事件には目撃者がいました。
事件当日、Mさんは夜桜を見た帰りに公衆トイレで手を洗っていました。すると、Mさんを押しのけるような勢いでBが現れ、血の付いたナイフ、手拭などを洗っていました。
Mさんは京都地裁に出廷、Bのことを話し、犯人は少年グループではないと証言しました。
ところが!その後Mさんは京都地検に呼び出されて取り調べを受け、「偽証罪」で逮捕されてしまいます。
これは警察がメンツの為に証言を潰したということでしょうか。第三者が真実の為に動いたというのに、無視するどころか逮捕するなんて。
<真犯人出頭>
Mさん逮捕の約1ヶ月後、事件発生から約1年後、真犯人のBが凶器のナイフと事件当時の服を持参して京都地検に自首しました。
実際にあった冤罪事件「八海事件」をモデルに制作した映画「真昼の暗黒」を観て、罪の重さに耐えられなくなったからとのことでした。
偶然映画を観たのでしょうか。
きっとBは日頃から自分の犯した罪に悩んでいたのだと思います。映画の内容を噂に聞き、何か答えを求めて観に行ったのだと思います。
<警察側のその後>
●取り調べをした森島忠三検事は懲戒処分を受け検事を辞任。
●事件を担当した刑事は数年後に、留置中の男と問題が発覚、懲戒処分となり退職。
Bを決断させた「真昼の暗黒」のついては次のページです。